5月30日

一年前、幸せの種類について考えていた。

一ヶ月前、幸せについて考えるのがこわくて避けてはもやもやとしていた。

 

最近は、好きな人たちとおなじ時間を共有することが増えた気がする。

人の人生の一部に自分が存在できることがすごく特別なことに思えてうれしかった。(大げさかもしれないけれど…。)

自分が過ごす時間に好きな人たちがいることがすごくうれしかった。

 

こういうことなのかな。

まだよくわからないけど。

 

いまはこのままおだやかに日々を過ごしていけたらいいな。

4月3日

眠れない夜。

いつもは横向きになってまっしろな壁を見つめながら眠りにつく。

眠れない夜。

白いシーツ。

やわらかい色の毛布。

しろくまのぬいぐるみ。

部屋でひとり。

 

14歳の頃の方がもっともっと強かった。

クラスの子に意地悪をされても弱音なんて吐かなかったし、うまく逃げ場所をつくっていた。

いまよりも絵を描いたり、読書をしたり、散歩をしたり、パソコンゲームをして気を紛らわすことができた。

いつ死んでもいいと思っていた。

つまらない周りの人間が嫌いでしかたがなかった。

はやく解放されたかった。

 

いつからだろう、こんなに不器用で脆くなったのは。

 

人のあたたかさやぬくもりに触れて、

人に依存することがこわくなった。

すごく、すごくこわくなった。

相手に対してどこまで踏み込んでいいのか分からないし、いつか何処か遠くに行ってしまうのではないかと不安になる。

それは思い過ごしではなくて、決まって自分の好きな人たちは何処か遠く遠くに行ってしまう。

連絡がこなくなった人もいる。いまどこで何をしているのかもわからない人がいる。

だからどうということはないけれど、やっぱりすごく悲しくてさみしくなる。

 

だからこそ、人とのつながりを恐れている。

なのに、

いつだって人とのつながりに安心する。

 

人から頼ってもらえるとすごくうれしいのに、

自分は周りへの迷惑ばかり考えて誰にもなにも言えずにいる。

 

矛盾だらけの日々でなにもかもあいまいで

受け取ったひとつひとつの大切な言葉だって忘れてしまうのではないかと臆病になってしまう。

気を遣って空回りして情けないなと思う。

なにもかもうまくいかない自分自身がいちばんきらいだ。

 

 

 

桜が舞って淡くなった。

風が吹いて宙に浮かぶ。

消えてなくなりそうな午後の空。

冷えた鼻先。

 

取り残されてしまった春。

 

あの頃のまま。

 

 

 

2月8日

春のような気候が増えて嬉しいような、こわいような。まだ2月なのに。

季節に取り残されてひとりぼっちになっている。

忘れていた日々を思い出しては悲しくなる。

あの人どんな声だったっけ、なんて。

 

 

春が近づくとそわそわする。

 

最近は、以前と比べて絵を描くことも絵を鑑賞することも考えることも減ってしまった。

馬鹿みたいに遊んでへらへらとしていることが増えた。

 

馬鹿になれば、変なことを考えずに済むから。

人といると、変なことを考えずに済むから。

疲れてしまえば、考え事をして虚しくなったり悲しくなったりすることもなく眠りにつくことができるから。

気持ちを楽にする方法がわからなかった。

あまりにも不器用だった。

 

日々逃げている。

逃避をしている。

それが駄目なことであると、いちばんよく知っている。

 

かっこ悪いね。

馬鹿だね。

12月8日

朝から喫茶店でかわいい友人とモーニングをしてから多摩川に向かった。

約1年ぶりに行った多摩川は前よりキラキラしていて眩しかった。変わらずうつくしかった。

 

かたちは違えど、自分のなかにあるものを表現してなにかに残すことはとても大切であると、尊いものであると、改めて感じた。気づかせてくれた。

 

はじめてチーズナンをたべた。おいしかった。

新しい友人ができた。

たくさんの言葉を交わした。刺激を受けた。

がんばろうね って励まし合った。

またね で手を振って改札で別れた。

 

互いに励まし合って前に進めることが何より嬉しくて電車のホームで泣きそうになってしまった。

 

ありがとうね と言ってくれたけど、

こちらこそありがとうだよ。

 

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またね。

 

10月19日

空、だれかと なにかと つながっているきもちになれる。ひとりじゃないと思える。

雨、しとしと静寂。やわらかいにおい。

線、表情。ゆるやかにとおく伸びている。

言葉、時にやさしくおだやかであり 時にするどく突き刺さる。

こころ、あたたかくありたい。

 

目に見えるものも、目に見えないものも、

同じに見えてしまう。

等しいと思ってしまう。

そうして日々をなんとなく過ごしてしまう。

 

自分に自信がないことだって

落ち込んでしまうことだって

嫌気がさしてしまうことだって

逃げてしまいたいと思うことだって

直視しなくちゃいけないことなのに、それすら逃げてばかりで

向き合うことができなくて

すごく惨めに感じて

かなしくなる。 さみしくなる。

 

 

いつか大丈夫になるときがきたら、

もし大丈夫になったら、

早朝のあわい白藍色のなか川沿いを歩いたり、他愛もない話をして笑い合ったり、

おいしいものを食べて、少しふるい映画を観て、やさしい音楽を聴きながら眠りにつくような、ずっとこのままでもいいなと思えるような、そんな日々を過ごしたいと思うのです。

 

 

見える景色ぜんぶ忘れずにいたいね。

 

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9月25日

時間が経ったホットミルクにできるあの薄い膜のようなうわずみをもっと大事にするべきなんじゃないか、

なんて薄っぺらいことを食堂でひとりカップ麺をすすりながら考えていた。

 

 

「人じゃなく本質を見ろ。」とか

「なんで学校来てんの?」とか

「それって逃げじゃん。」とか

「自分を客観視しろよ。」とか

「(笑)」とか…

 

 

 

ある女の子に はやく死んでほしい と間接的に言われたことがある。

まっすぐな言葉だった。

それを聞いた時、少し悲しかったけれど

同時に私も そうだな と思った。

納得した。

 

でも、ちゃんと会って目を見て話し合うべきだったと今になって思うよ。

もう何処に行ってしまったかも分からないけれど。

 

 

人じゃなくて本質を見ることだって

自分を客観視することだって

学校に行くことだって

逃げることだって

案外容易いのかもしれない。

 

 

カップ麺、あまり美味しくなかったな、

 

 

 

 

 

 

7月7日

このブログをはじめて一年が経った。

短いようで 長いような

不思議な一年だった。

 

一年前と比べ、外に出ることが増えた。

たくさんの景色を見て、

たくさんの絵画を見て、

たくさんの人と関わり、

たくさんの話を共有して刺激を受けた。

楽しかった。嬉しかった。

 

ただ、ひとりいつもと同じ帰り道を歩いていると、どうしようもなく虚しくなった。

周りと比べては、悲しくなった。

 

変化することがすこしこわいと思った。

 

他人と分り合うことは難しい。

人を信じることは難しい。

一人で生きていくことは難しい。

 

言われた言葉たちが邪魔をするから、

人に甘えることができなくて、

頼ることができなくて、

周りのことばかり気にしている自分のことが

ますます嫌いになった。

(言い訳・・)

 

 自己満足ではあるけれど、あかしを残すためにこのブログを通して吐き出した言葉たちも、

描いている絵も、日々も、

いつか消えて無くなってしまうのではないか、と思うとすごく不安になる。

 認められなくても、

理解されなくても、

心の片隅に置いてもらえればそれだけで十分なのにな。

 

いつか 生きていてよかった と心の底から思えるように。

 

明日が今日よりもすてきな一日になりますように。